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書家、墨象家 木村松峯(本名 峯子 旧姓 松本)は1936年福岡県柳川市に、父 峯吉と、母 瑞穂の4女として生まれた。 北原白秋の故郷としても知られるこの地は、豊かな自然に恵まれた水郷である。(1961年)、健一氏(弁護士)と出会い結婚。東京に移り住んだ。父の影響もあり幼少の頃から書がすきで、学校の中では特に見込みのある生徒を放課後に残して指導をしていた。先生の教え方の上手さもあって、そのおもしろさに書の世界へとのめり込んでいった。中学(県書道展では、常に天賞)高校を通じて、自分の生活の中から書が無くなる事はなかった。北原白秋が通っていたのと同じ、柳川の藩校、旧制中学伝習館後の福岡県立伝習館高等学校に通う事になるが、高校時代の教師も非常に書に精通しており、その影響でかな文字を作品として書くようになった。東京弁護士夫人の会(むつみ会)には、書のサークルがあり、そこで美智子妃殿下にも、書の手解きをしていた熊谷恒子(日展参与、全日本書道連盟参与かな文字第一人者)先生を知り指導を受ける事となったが熊谷先生93才にて他界。後に飯島敬芳(毎日書道会常任顧問、日本書道美術院理事長 かな書道作家協会常任理事)先生に師事。毎日書道展日展と作品を出品入選入賞し続けるが、日本独特の縦割りの世界に疑問を感じ、これまで書き続けてきた仮名文字から、より自身の心象を表現することができる墨象と云うジャンルに挑戦することにした。そして、ル・サロン(世界最大・最古フランス芸術家協会)に出品し、永久会員となり、世界へ挑戦する事になる。 

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